
アフガニスタンの戦争とは 2008年9月22日
アフガニスタンの戦争を”国際紛争”とだけとらえる人が多いようです。
もちろん、"国際紛争"の側面があることは確かですか、"国際紛争"とだけとらえるのは間違いです。
例えば、ソ連軍がアフガニスタンに駐留していた10年間(1979年-89年)を、アフガニスタンとソ連の”国際紛争”とだけとらえるのは間違いです。
共産主義ハルク派のアフガニスタン政府とそれに対抗する反政府勢力との内戦がまずあり、アフガニスタン政府を軍事的に支援するためにソ連が入ってきたために、国際紛争の側面をもつようになったというほうが正確でしょう。
[ソ連+アフガニスタン政府] VS [アフガニスタン反政府勢力]
しかも、アフガニスタン反政府勢力も一枚岩ではなく、[ソ連軍+政府軍]と闘いながら、同時に、反政府勢力内部で内紛をくりひろげていました。
異なる民族の間で、シーア派とスンニ派の間で、あるいは、同一民族の中での派閥争い等等。ソ連軍が駐留している間、ずっと続いていた内紛が、ソ連軍が撤退したことで一気に大きくなり、凄惨な内戦として勃発したのが、1992年でした。
アフガニスタンでは、1970年代後半から今日まで、常に内戦が続いています。
内戦はずっと続いているけれど、ソ連やアメリカなどが軍事介入すると、”国際紛争”の色合いが強くなるために、内戦中であることが目立たなくなるだけです。
でも、内戦が解決したわけではなく、未解決のまま、ずっと続いているため、よその国の軍隊がいなくなると、内戦が激しくなるわけです。
現在、アフガニスタンには、アメリカ軍など40カ国近い外国軍が展開しています。
ひとつは、「不朽の自由作戦」(OEF)として、タリバンやアルカイダ勢力の掃討作戦などを行う米国中心の連合軍、いわゆる対テロ戦闘部隊。
もうひとつは、安保理決議第1386号にもとづき設置されたアフガニスタンの政府の治安活動を側面支援する国際部隊、すなわちISAF(国際治安支援部隊)です。
日本の中には、アフガニスタン国内に駐留する外国の軍隊がすべて今すぐ撤退すれば、アフガニスタンが平和になると考えている人がいるようです。断言してもいいですが、残念ながら、そうはならないでしょう。アフガニスタンから全部の外国の軍隊が撤退して、”国際紛争”が消えたとしても、内戦の方が未解決のままだからです。
今、アフガニスタンから外国の軍隊が撤退したら、ソ連が撤退した後と同様、あるいは、それをはるかに越える凄惨な内戦があっという間に勃発し、これまでにない悲劇が起きる可能性があります。ゆえに、わたしは、アフガニスタンで活動する国際治安支援部隊が撤退することには強く反対する立場であり、当分の間、留まって治安維持の活動を続けてほしいと切に願います。
RAWAはイスラムを否定しているか? 2007年10月30日
まず、上記の問いの意味が、"RAWAのメンバーはイスラム教徒(ムスリム)ではないのか?" ということでしたら、少なくともわたしが出会ったRAWAメンバーは全員イスラム教徒でした。ですから、否定はありえません。ただ、アフガニスタンには、ごく少数ながら、ヒンズー教徒やユダヤ教徒、その他の信仰をされている方がおられます。
RAWAのメンバーの中に、こうした信仰をされている方がおられるのかどうかはわかりません。とはいえ、RAWAメンバーのほとんどがムスリムであると考えて間違いないと思います。
ところで、ムスリムでない人というのはイスラムを否定しているということになるのでしょうか。それはちょっと違うように思います。たとえば、わたし川崎は、イスラム教徒でもキリスト教徒でもありま
せんが、これらの宗教を否定しているという認識をもっていません。わたしは信じていないけれど、信じたい人は信じたらいいと思っています。
こういうふうに考えられるのは、もちろん、日本では信教の自由が認められているからですが。
RAWAメンバーの国であるアフガニスタンには、信教の自由がありません。この国に生まれたら、いやおうなく、ムスリムになることを余儀なくされるといっていいでしょう。そしてもし、ムスリムがイスラムの信仰をやめれば、背信ということなり、アフガニスタンでは重罪です。2年ぐらい前、アフガニスタンでキリスト教に改宗したアフガン男性が捕らえられて、石打による死刑の判決が出されました。国際的な批判が広がったため、死刑はまぬがれたものの、難民としてヨーロッパに逃れざる得なくなったといいます。
信教の自由や思想・信条の自由がないアフガニスタンでは、イスラムを信仰したくなくてもできません。イスラムを否定したくてもできません。
RAWAが求めている自由と民主主義には、信教の自由や思想・信条の自由が大きなものとして含まれてい ます。こうした権利をもったうえで、イスラム(でも何の宗教でも)信じるか信じないかは、個人の問題という考え方です。
RAWAはイスラムを否定するのか?と問いかける方の中には、信教の自由を求めること自体を、イスラムを否定することと考えている方がおられるように思いますが、イスラムを誤解しています。イスラムは異教徒の存在を認めています。
また、イスラムに限らず、何の宗教でもそうですが、教義の中には、女性差別的な考え方が含まれてい ます。確かに、RAWAはそういう部分を否定したいと考えているでしょう。
ところで、わたしは日本人ですが、日本の伝統や慣習や文化というものを全部よいものだと思っているわけではありません。女性差別の伝統や慣習を否定しています。しかし、一部を否定しているからといって、日本文化を全否定しているとはいえないでしょう。イスラムだって、アフガニスタンの伝統文化だって同じではないでしょうか。一部でも否定したら全否定だと考えのはおかしなことです。
とはいえ、わたしには、日本文化を全否定する権利があると思うし、そのことに関して、よその国の人から(自国の人であっても)、日本人のくせに日本文化を全否定するとはケシカランなどといわれる筋合いはないと思っています。同様に、RAWAにも、アフガニスタンの文化を全否定する権利をぜひとも獲得してほしいと思っています。
わたしは、RAWAが自由と民主主義を求めること、すなわち、信教の自由、思想・信条の自由、言論の自由、表現の自由等の基本的人権を求めることを支持しています。
その理由は単純です。
こうした権利が日本の憲法で認められていることをわたし自身がありがたく、心地よく思っているからです。日本文化を全否定する権利があるから、日本文化を愛せるのかもしれないとさえ思います。
わたしは、日本文化を全否定する権利を含む思想・信条の自由を手放したくないです。個人がこれらの権利をもたない社会は、耐え難いほどに息苦しいだろうと思います。
自分が自由と民主主義の恩恵を享受しながら、他者がそれを求めるのをケシカランなどといえるはずもありません。
自由をもっていない人に求めるなと言うことは、
たとえてうなら、
自分は十分に酸素を吸っていて酸素があることすら気がつかない状態なのに、酸欠状態で苦しんでいる他者に対して、「酸素、酸素と声高に叫ぶな、酸素がなくても生きていけるよう身体をあわせろ」と言い放つに等しい行為ではないでしょうか。
シリン・ゴルの物語 2007年5月2日
先月の4月20日に麻布セントメアリー教会で、アフガニスタンのためのチャリティ・コンサートが開かれた。その中で、ドイツで出版された「シリン・ゴルの物語」の一節が朗読された。(朗読されたのは、日本語訳)
例えば、パキスタン国境を越えて難民キャンプにたどり着き、ここなら、あたたかくむかえてくれ、安らぎが得られるに違いない、というかすかな期待が、あっというまに裏切られ崩れていく主人公シリン・ゴルの心理描写。そして、難民キャンプの残酷な現実の描写。
この朗読を聞きながら、わたしは、かつて訪ねた難民キャンプの情景をありありと思い浮かべていた。
2001年3月、パキスタンのペシャワール近くにあるジャロザイ難民キャンプを訪ねたときのこと。住んでいたのは、2000年から2001年にかけて脱出してきたアフガン難民およそ8万人。ここでは、国連や国際的なNGOによる食料の配給も、生活必需品の配給もなかった。パキスタン政府が、このキャンプの住民を「難民」とは認めていなかったから。だから、食料は、子どもたちが、付近のパキスタン人民家にいって物乞いしてもらっていた。物乞いで十分な食料が得られるはずもなく、みな栄養失調となった。水だけは、国境なき医師団が配給していたが、8万人には、きわめて不十分だった。
はるかかなたまで立ち並ぶテントは、支給されたものではなく、難民たち自身がどこかから調達してきた(拾ったのか、盗んだのか、買ったのか)ぼろ切れやビニールで作られていた。真冬、ボロボロのテントで、毛布もなかったので、凍死する子どもが続出した。
これが、難民キャンプの現実だった。
"難民キャンプにたどり着けば、国際社会が暖かく迎えてくれる"、という期待は一瞬にして消え去ってしまう。シリン・ゴルのように。
当事者ではなかったわたしもまた、国際政治の残酷さ、をまざまざと見せつけられた思いだった。
墓 2007年4月8日
アフガニスタンには、街の中や丘など、いたるところに集団墓地があります。その多くは、あまりにも長く続いた戦争のために亡くなった人が葬られています。小さな墓石のわきに竿がたてられ、緑や青の布が結ばれます。
しかし、墓石のそばに布をつけた竿がたてられるのは、男性の墓だけで女性にはないそうです。

選挙 2007年3月26日
4月8日は東京都知事選挙の投票日。東京在住なので東京中心に書いています。選挙運動は、静か、という印象。
さて、日本では選挙があるのは当たり前ですが、アフガニスタンでは、天下の一大事というできごとです。
2004年9月の大統領選挙の前の8月にアフガニスタンを訪ねました。街のあちこちに立候補者のポスターが貼られていましたが、それよりも目についたのは、選挙の啓発ポスターでした。
たとえば、紙面を真ん中でまっぷたつ分けて女性と男性がそれぞれ投票している絵が描いてあるポスター。「婦人参政権」とは古い言葉ですが、女性が参政権を得ることは大変なことだったというのをあらためて考えさせられるポスターでした。
それからこんなポスターもありました。
大きな木が真ん中に描かれていて、根っこにはたくさんの投票用紙が。そして、実った果実を女性、男性、老人、子どもたちみんなが手を伸ばしてとっている絵。
選挙で投票することで、豊かな実りをみんなが手にできるというのをビジュアルでわかりやすく示したポスターでした。
民主主義とは、ほんとうそうあってほしいものです。
国際女性の日 2007年3月10日
3月8日は国際女性の日。1975年(国際婦人年)に国連で定められた。毎年、3月はじめは、世界各地で女性の日を祝うさまざまなイベントが繰り広げられている。アフガン女性の団体RAWAも毎年、イベントを開催している。今年は、3月9日に首都カブールで開かれた。
わたしも、RAWAの国際女性の日のイベントに参加したことがある。9.11テロが起こる半年前の2001年3月。ちょうど、タリバンがバーミヤンの大仏を破壊したときで、世界中がその話題で騒然としていた時期だった。
2001年のイベントは隣国パキスタンのペシャワールで開かれた。ソ連侵攻から内戦、タリバン支配とアフガニスタン国内は混乱を極め、長い間、政治的な活動を国内で行うことができなかった。今年、カブールで開催したことは、少しはマシになったと思いたい。
2001年3月のRAWAのイベントで印象的だったのは、演説などの間に必ず入る少女たちの合唱だった。
哀愁の漂ようそのメロディーは 美しく、歌声は力強かった。少女たちはみな、父親を虐殺されるなどの悲しい記憶を背負っていたが、それを乗り越えてよりよい未来を築こうという痛々しいまでの強い意志が伝わってきた。
さてこのたび、RAWAの活動と思想を紹介するビデオ「RAWA アフガン女性の闇に光を」(25分)を制作したが、その中にどうしても入れたいと思ったシーンの一つが、この少女たちの歌だった。
VHSビデオで販売し始めたので、ご興味あればこちらへ
アフガニスタンのメロディは、とても素敵だと思っているので、「RAWA アフガン女性の闇に光を」では、アフガンの少女たちの歌をBGMとしてとりいれた。
ミュージックビデオ的なものとしても楽しんでいただけるのではないかと思います。あからさまな宣伝になりましたが、ぜひ紹介ページのほうにもアクセスしてください。

短波放送のラジオ 2007年2月12日
2002年にNHKの国際放送ラジオに出演した。わたしの話は、各国語に翻訳されて世界各国に流されたという。
そのとき、出演料として(たぶん)、ソニーの短波放送専用のラジオをもらった。ちょうどパスポートサイズぐらいのものなので(ただし厚さは3センチぐらい)持ち運びに便利で重宝している。アフガニスタンを訪ねるときもこのラジオを持参して、夜眠れないときに聴いたりする。
アフガニスタンのカブールでは、ラジオ日本ののダリ語放送(ひよっとしたらペルシャ語)がすごくよく入っていた。ダリ語はわからないけれど、音楽番組が多いので、何時間も聴き続けたものだ。特に2002年の12月末に訪ねたときは、カブール市内のゲストハウスに3泊したが、夜暖房がない状態で、凍てつくように寒かったため、全然眠れなかった。そこで、ふとんをかぶってガタガタ震えながら、夜通しラジオを聴いていた。このときほど、短波放送のラジオをもっていってよかったと思ったことはない。
こんな重宝なラジオだけど、聴くのは1人のときだけで、アフガン人の前では聴かないことにしている。その理由は次のようなことがあつたからだ。
あるアフガン人の家のベランダでラジオを出して音楽を聴いていた。するとそこの15歳ぐらいの息子さんがやってきて「日本はテクノロジーの国だ、そんないいラジオをもっていてうらやましい、あなたは日本人で本当にラッキーだった。自分はアフガン人でアンラッキーだ」という主旨のことを言って悲しそうな顔をした。
わたしはなんて応えていいかわからなかった。自分だけいい気持ちになって、つらい思いをさせてしまったことを悔いた。以来、アフガニスタンで日本製のラジオ(SONY
ICF-SW11)を聴くのは、ホテルなどで1人で居るときだけと決めている。
アフガニスタンでチョコレートといえば・・・ 2007年2月4日
1999年からパキスタンのアフガン難民キャンプとアフガニスタンに通い続けていますが、現地でこんなやりとりがしばしばあります。
アフガンの友人「チョコレートどう?」と小さな包みを差し出す。
わたし「ありがとう」と包みをひとつもらう。
ところが、その包みをあけると、アメが入っています。口の中に入れて見ると、確かにアメです。チョコレート味のアメでもなく単なるアメ。
こういうことが、何回もありました。
現地で、チョコレートといわれて、チョコレートだったことは一度もなく、すべてアメでした。
アフガニスタンでは、アメをさして、チョコレートというのかどうか知りたい知りたいと思いながら、いまだに確認できずにいます。
もうすぐ、バレンタインデーです。スーパーなどに積み重なるチョコレートを見ていたら、「アフガニスタンのチョコレート」のことを思い出しました。
情報と倫理 2007年1月28日
2月5日から国際協力機構(JICA)が主催し、国立女性教育会館が実施する「平成18年度アフガニスタン国別研修 ジェンダー統計分析・処理研修」が行われる。わたしも、映像関係の研修を受け持つことになっている。研修のために来日するのは、アフガニスタン政府の省庁職員9名。わたしが受け持つのは、情報と倫理という、日本においても大問題になっている最前線の課題。研修の講師を引き受けたことから、情報と倫理の問題をわたしなりに整理したりしているが、ほんとうに奥の深いテーマだとあらためて思う。最近あったフジTVの「納豆ダイエットでっちあげ」騒動などは、情報と倫理の関係を考えるうえでの典型的な事例といえそうだ。研修では、アフガニスタンの人たちに何かを教えるというより、情報と倫理には、こんなにも難しい問題がうあり、日本でも解決法を模索している段階なのだということを確認しあうことになるかもしれない。
地雷 2007年1月14日
1月13日夜10時からNHK教育テレビで放送されたETV特集「アフガン戦争」は、ソ連軍のアフガニスタン侵攻を主なテーマとした番組だった。
2002年の12月末にアフガニスタンに滞在した理由の一つは、ソ連侵攻と同じ時期のアフガニスタンを取材したかったからだ。2002年の12月27日と、1979年のその日では20年以上の時を隔てている。もはや遠い歴史的できごと、と思いたいところだが、現場にたってみると、そのときから時が止まってしまったかのように、12月27日は、今そのもののように思えた。傷口からは、今なお、どくどくと血が流れ、苦痛にあえぎながら、止血法を模索しているというのか、アフガニスタンの現状ではないだろうか。
ソ連軍が残したもので、もっとも罪深く、残酷なもの、それは地雷だとわたしは思う。兵隊は撤退すればいいし、壊れた戦車はめざわりではあっても、それ自体それほど大きな害はなさないだろう。銃についても、それを使うか使わないか、使うとすればどのように使うかを人間がコントロールすることは可能だ。しかし、無差別にまき散らされた地雷は、今でも、人びとの命を奪い、手足を奪っている。ソ連侵攻の時代、生まれてもいなかった子どもたちの未来を奪っている。地雷の恐怖があるから、農作物を作ることができなくなり、結果、大地は荒れ果てたままだ。アフガニスタンには、1000万個の地雷が埋められたままになっているという。この数は数年前にきいた数と同じ。もちろん、取り除く作業は続けられているが、あまりにも時間がかかりすぎるのだ。
ソ連を実質引き継いだロシアには、自分たちがまき散らした地雷を効果的に撤去する方法をぜひ考案してほしいものだと切に思う。
All rights Reserved Copyright (C) Office3way
|